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史跡・遺跡

更新日:2017年2月1日更新 印刷ページ表示

下呂市内の史跡・遺跡

峰一合遺跡公園(縄文公園)

〔下呂市森〕《 Googleマップ<外部リンク> 》

峰一合遺跡公園(縄文公園)

昭和41年から昭和45年にかけて発掘調査された峰一合遺跡に、竪穴住居3軒を復元した史跡公園です。

峰一合遺跡は、市内発掘調査によりはじめて原始時代の竪穴住居が確認された、記念碑的遺跡です。

また、発掘出土品等を展示する「下呂ふるさと歴史記念館」が公園に併設されています。下呂石を算出する湯ヶ峰、城平見晴台、縄文公園、下呂ふるさと歴史記念館一帯のゾーンを「歴史の森」と呼びます。下呂温泉合掌村と縄文公園を結ぶ縄文橋は、眼下に下呂の街並みを見ることができるビュースポットです。

下呂石

下呂石の画像

下呂温泉の発見にまつわる白鷺伝説にも登場する湯ヶ峰。この湯ヶ峰は、約10万年前に噴火して山頂付近に溶岩を流した火山で、この溶岩の中には黒色ガラス質のものがあり、旧石器時代頃からやじりなどの石器の材料に利用されたことがわかっています。これを「下呂石(湯ヶ峰流紋岩)」と呼んでいます。

この下呂石は、中部地方だけでなく関東地方や近畿地方、そして北陸地方でも発見されています。そのことから、縄文時代には石器の石材の交易も盛んで、さまざまな流通ルートを使って広まっていったと考えられます。特に使用率が高い愛知県へは、崩れ落ちた石が川を下り、それを拾った人々が石器として加工していたとも考えられています。

峰一合遺跡のある縄文公園の近くの橋のたもとには、下呂石の塊をいくつも組み合わせて石鏃を表現した高さ約3mの「下呂石の碑」が建てられています。

岩屋岩陰遺跡

金山エリア〔金山町岩瀬〕《 Googleマップ<外部リンク> 》

金山巨石群

自然の崩落などにより堆積した巨石のひさしの下(岩陰)で発見された遺跡。平成13年の発掘調査で、縄文・弥生時代の土器・石器のほか、江戸時代の古銭などが出土。縄文・弥生時代の出土遺物はわずかなため、その時代は長期的な居住地ではなく、狩猟・漁労などの際の一時的なキャンプ地として利用されたと推測される。岐阜県指定史跡。

位山官道 通称「匠の道」

萩原エリア〔萩原町山之口〕《 Googleマップ<外部リンク> 》

位山官道「匠の道」

「官道」とは国家により造成・整備・管理等がなされた道路のことで、古代の平城京・平安京を中心に発する七道は有名です。

飛騨国は東山道に属し、今の岐阜市長良付近から分岐し高山の国府に向かう支路を東山道飛騨支路と呼びます。

高山盆地に入る手前の位山峠には、官道「位山官道」が通っています。古代、宮都造営のため徴発された飛騨の木工労働者がその官道を通って都へ向かいました。今もその歴史を偲ばせる石畳がところどころに残っています。周辺のミズバショウの群生地や、樹齢300年を超えるブナ、トチノキ、カラマツなどの樹間をぬって歩く、歴史と自然いっぱいの道です。

諏訪城跡

萩原エリア〔萩原町萩原〕《 Googleマップ<外部リンク> 》

諏訪城址

諏訪城は、金森長近が天正13年(1585年)、三木氏の桜洞城を廃して築き、佐藤氏を城代にしたという説と、佐藤氏が築いたという説があります。その後、一国一城制により廃止され、公用宿所となりましたが、飛騨が天領となって城の歴史を閉じました。本丸中央の屋形跡には諏訪神社が建てられています。また、諏訪城跡は岐阜県の史跡に指定されています。

初矢峠の石畳(南北街道)

〔下呂市乗政〕《 Googleマップ<外部リンク> 》

 「南北街道」は、江戸時代、下呂と中山道中津川宿(岐阜県中津川市)を結んでおり、江戸と高山をつなぐ重要な街道でした。江戸街道とも高山往還とも呼ばれていた南北街道のルートは古くからあり、地元の人々から「鎌倉街道」と呼ばれています。

 飛騨街道と南北街道の合流点の下呂市湯之島から南北街道で下呂市竹原へと向かう途中の初矢峠には、石畳が幅2m、延長80.4mにわたって残っています。岐阜県の史跡に指定されています。​